
あらゆる物質は原子のブロックで構成され、生物は細胞のブロックで構成されます。
細胞の中には遺伝子が存在し、細胞の機能や成長を制御しますが、環境により則した遺伝子を持つ細胞が適者生存の進化として生き残ってきました。
多細胞生物のうち、人間以外の哺乳類のことを動物と呼ぶ場合があります。動物には特定の刺激に自動的に反応する「本能」があり、「本能」も進化の重要な要素だと思われます。
宇宙のエネルギー

万物の構成要素である原子自体が、プラスの電荷をもつ原子核とマイナスの電荷をもつ電子との流動的な組み合わせで存在していることからわかるように、この地球に存在するものは全て宇宙のエネルギーによって流動しています。進化という現象も宇宙のエネルギーの流動形態とも言えます。
物質はもとより植物や動物も、私達のような悩みや苦しみなど発生することなく存在しているのではないでしょうか。目の前の環境を山だとか川だとか判断することなく、外部環境からの刺激に本能などで反応しながら自然の一環として存在しているだけだと思われます。
我々人間も、物質、生物、動物という要素を有しており、宇宙のエネルギー流動の一時的な存在です。ただ、約20万年前に登場した現生人類ホモサピエンスは、言葉や文字を駆使できる「理性」を与えられたようです。現生人類は、周囲の環境に、山だ川だ海だと名前を付けて分類していくことにより、世界という構造を概念として構築していきました。その世界と相対し、世界を見ている「自分」という存在を実体的な存在として確信するようになります。ただ、狩猟や採集を生業とする時代には、自分達も自然の一部として順応しながら生きていたものと思われます。
自我意識の発達

しかし、農業が始まると、人間は自然に手を加え、秩序ある集団生活を行い、富や階級なども発生しました。鏡や装飾品などの登場からみても自我意識も発達したのでしょう。文字や言葉によって「自分」という現象を基本的な存在単位とする文明が発生し、自然環境から独立した人間社会システムが構築されて行ったのです。特に、近代の産業革命以降、科学の発達などによって、人間は理性に自信を持ち、宇宙のエネルギーに依って存在しているという根本を忘れがちになっています。神や仏などの名称で感じられていた宇宙のエネルギーも迷信として排除されています。一方、「自分」と他人との比較などにより、欲や妬みなどの感情も強くなり、悩みや苦しみなどを制御できなくなってきます。
悟りとは、人間も宇宙のエネルギーに依って流動する現象であるという根本を思い出し、「自分」という概念にまとわりついた様々な執着を除こうとする「修行」になります。その手法は様々説かれていますが、煎じ詰めると、妬みや怒りといった感情について、それらが記憶や悪い癖による反射効果としての現象に過ぎないことを得心が行くまで、第三者的に観察することが推奨されます。なお、妬みなどの感情は、他と区別し比較する分別によって発生します。分別は現生人類があるがままの自然に対して、山だ、川だと名前を付けていったことから始まったこともあり、修行においては、言葉や文字が嫌われることがあります(不立文字)。
怒りなどの感情が流れゆく現象でしかないことに得心が行くと、感情の主体としての「自分」という観念も薄れるのではないでしょうか。怒りも悲しみも現象として流れていくだけなので、悩みや苦しみによる縛りから解放されて私達は幸福感を得られるかもしれません。
しかしそれだけでは、現生人類になぜ理性が与えられたのかが説明できません。
理想を追い求め、実体のない観念から建物などの有形物を生み出すような創造力がなぜ与えられたのか。
悟りとは、執着による縛りから私達を解放した上で、その理性を豊かな創造力として活用することにより、あるべき宇宙の姿を求めて進化・向上に努めることを言うのではないでしょうか。
まとめ
特に、私達の創造力が宇宙のエネルギーとの調和を忘れ、地球という生存システムにも大きな影響を与えている現代にあっては、悟りを求めることは個人の幸福実現への手段としての必要性を超えて、人類の持続可能性の観点からも不可欠なものになりつつあります。題を改めて考えてみます。
(初出:ぎょうせい月刊「税」10月号)






