
年齢を経て「頑固な人だ」とか「融通が利かない」とか批判されることは悲しいことです。
一方、周囲に忖度し過ぎると、他人や周りの状況に悩まされます。
幸せに生きるとは何か、を考えると、結局、自分で自分の機嫌を取ることが大事だなあ、と思うようになりました。
自分の機嫌を取るために

自分の機嫌を取るためには、自分の機嫌を観察しなければなりません。
怒りや不安などの感情に支配される前に、それらの感情が胸を焼きながら暴れる状態をじっと観察するのです。原因と思われる他人を恨んだり、要因となった周りの状況を変えようとバタバタすると、概ね墓穴を掘ることになります。
自分の機嫌を変えるしかありません。観察していると二つのことが見えてきました。
思い通りにならないことへの怒りの中に、当然思い通りにしたいという欲があるのですが、その欲が本当に自分の欲なのか、分からなくなりました。承認欲求などが多かった気がしますが、それは、これまでに植え付けられてきた価値観からくる癖のようなものに思えてきたのです。
もう一つは、怒りの対象となった出来事は、本当に怒る必要があったものなのか、分からなくなりました。出来事は、どのようにでも解釈できますし、怒った後で「な~んだ」という場合も多かったからです。
『自分の』機嫌すら自分でコントロール出来ていなかったのです。
他人や周りの状況に自分の機嫌を取って貰おうと甘えていたことが間違いだったと思いました。
自分の機嫌を自分で取る試行錯誤の中で、幸せとは解釈次第では?と感じました。
一つは、頭に来る出来事も、解釈次第で、別の捉え方もできること、二つは、状況を変えようとしなくても成るようになるので、あとは成るようになった状況を自分がどう解釈するのかが重要だ、ということです。
まとめ
一度きりの『自分の』人生です。自分の機嫌を自分で取りながら、自分が主人公として生きて行く。そこに、良し悪しは無いのかもしれません。
(初出:ぎょうせい月刊「税」11月号)






