
明日の為に今晩はぐっすり眠らなくてはと考えると、逆に眠れなくなることがよくありました。
眠ろう眠ろうと考えると、ポツポツと過去の面白くない出来事や他の人への不満が湧いてきてグルグルと渦を巻いて大きくなり、もう目が覚めてどうしようもなくなることがよくありました。
意志の力で、眠気を我慢することはある程度可能ですが、自分の意志で眠りに落ちることはできません。
湧いてくる妄想を消そうとしても自分の意志では困難でした。そんな時は、息を数えるとよい、などの教えを試しましたが、なかなか効果は出ませんでした。
眠るために

眠りたくても眠れない、頼んでもいないのに勝手に妄想が湧き出るこの身体は、本当は自分のものではないのだなあと気付きました。
自分のものだと思うので甘えてしまいますが、この身体はもっと慎重にあつかわなければならないようです。
思考よりも、まだ、筋肉の方が、私の意志に忠実なようで、眼を閉じて眼球を少し下げるように努めていると、眠りに落ちることができるようになりました。
思えば、自分の意志は、この身体の欲求や感情などと常に闘っていたのでした。意志が直接湧いてくる妄想に打ち勝つことは難しいので、まずは、より忠実な筋肉を介してこの身体を支配するように努めることが有効なようです。
古来、武道や茶道、能や舞など、修行というのは、筋肉や関節などの使い方を繰り返し繰り返し修練しながら、理に適った美しい動きを目指すものですが、その修行の過程で、意志が自分の身体に打ち勝ち、その力で身体をコントロールできるようにしようとする努力かもしれない、と思いました。
実は、私達は、嫌なことを考えたくはないのです。例えば、オリンピックを目指さなくても、多くの人が修行に励むのは、無用な思考から逃れるためではないでしょうか。
まとめ
無用な思考は本当の自分のものではありません。
そのことに気付けば、この世の中における様々な争いごとの多くが解決するような気がします。
(初出:ぎょうせい月刊「税」2026年1月号)






