
近ごろ、よく思うのです。心は歳を取らないのじゃないかと。
幼稚園の時と、今を比べて身体も経験も全く違うけど、心は変わっていないなあと。
幼稚園以来、文字を覚え、常識を叩き込まれて、世間並の欲望とか、執着とか、世間体とかを考えるようになりました。
その後、いろいろあって、世間体や執着が邪魔だなあと思うことが多くあり、それらの束縛を消すことに努めるようになりました。そのことは、ある意味、教育を受ける前の幼児の気持ち、色付けられていない状態に戻ることにも似ています。
その時、思うのです。幼児の時と今と心は同じなのではないかと。
時間が物質と物質との変化の相関関係を示すものならば、物質の無いところには時間もあり得ないそうです。具体的な物質と関係なく、この世の全ての物や人に同じく適用されて過去から未来に伸びていく独自に動く絶対時間など無いようです。
「心」とは

もし、人間が物質としての動物的身体と魂との結合だとすれば、時間は動物的身体に関するもので、物質でない魂には時間は関係ないはずです。私達の心は、目の前の物体を見てその物体のことを考えると同時に、遠く宇宙を想うことも出来ます。想い出は色褪せないと言われますが、想い出も今の働きとして現れるのですね。魂(心)は常に今働いていることが全てなのでしょう。
まとめ
かつてパットン将軍は、初めて訪れた古戦場で、誰がどのような戦術で戦ったかも前世の記憶として語ったと言われますが、それも想い出の一つでしょうか。無限の魂(心)が有限の肉体に縛られるはずはありません。魂の想い出が複数の肉体上に現れることは十分にあり得るのでしょう。
すると、心(魂)は歳を取るようなものではなく、常に今を永遠に働くものなのでしょうね。この変わらぬ心(魂)が起点となって、老いていく肉体を認識するわけですけれど、心(魂)の方が本体ならば、肉体の老化など気にする必要はないかもしれません。
(初出:ぎょうせい月刊「税」2026年3月号)






