
成功か失敗か、善か悪か。私達は二分法で議論を単純化しがちです。でも、人間のことなど簡単に割り切れるものではありません。
原因と結果に基づいて必然的に生老病死と進む自動機械としての身体と、理性的な精神(魂)とが緊密に結合したのが人間だ、と確信したのが近代科学・哲学の父デカルトでした。
デカルト以降、私達は、必然の世界を究明することで発展してきましたが、精神(魂)のことは、まだ何もわかっていません。フロイトの精神分析学なども必然の世界の究明の試みの一つにすぎません。一方、私達はわからないことを迷信の世界に追いやり考えないようにする傾向があるようです。
「精神」とは

デカルトの言うように精神(魂)が永遠なのであれば、私達の人生は、精神(魂)が身体の欲求と張り合いながら、成長していくプロセスとなります。過去は私達の学びの材料です。迷惑をかけた事や恥ずべき事など、私達は過去を否定せず受け入れることで多くの学びを得ることができます。ただ、変えられない過去に縛られないように注意が必要です。迷惑をかけた人には申し訳ありませんが。
精神(魂)の成長プロセスとしての人生に着目すると、苦しかった出来事も違う風景として見えてくるかもしれません。人生の出来事の本当の意味の探究です。
まとめ
精神(魂)が永遠であるならば、そもそも人生に結果などありません。今に集中する精神が続いていくプロセスがあるだけです。これまで入学試験や人事異動などをはじめ、様々な結果への不安から、私達は不安に苛まれてきました。でも、結果を気にしなくてもよければ、私達の心は解放されます。自由ですよね。
年齢を重ね、身体の必然的な終焉も近くなってきた時まで、私達は過去に苦しめられる必要はありません。過去を反省し、学びの材料とする中で、「心」の大切さに気付きながら、精神(魂)の成長を求める日々が豊かな人生なのかもしれません。
(初出:(株)ぎょうせい2026年4月号)






