
先日、山下達郎の「ライド・オン・タイム(時流に乗る)」という曲を久々に聴きました。大学生の頃、毎朝流していた曲です。不安と期待が入り混じる将来に向かって元気を貰った曲です。
さて、先日はどうだったか?なぜか学生時代と同じ躍動感に満たされました。既に時流に翻弄される月日は去り、物質的肉体の終焉すら視野に入っているにも関わらずです。
肉体は物質ですので、37兆個の細胞が刻一刻と変化します。腸の上皮細胞は何と3日で入れ替わるという話もあります。それと同時にエントロピー増大の法則の支配下にあるので、物質である肉体はやがて崩壊していくようです。ところが、「ライド・オン・タイム」のメロディは、50年近くの年月を超えて私の心を同様に躍動させました。心(精神)は眼に見えない働き(エネルギー)ですので、必ずしも肉体と連動するわけではないと思いました。
データは過去の遺物

一方、物質と違って変化しないものに一度刻まれた情報(データ)があります。常に変わりゆく肉体をはじめとする物質世界に生きる私達は、経歴や預金記録など、その時々の状態をデータとして保存して社会生活の安定を構築しようとします。しかし、データは過去の一時点の状態の表現に過ぎず、実体はありません。記録された次の瞬間には、実体はデータと乖離するのです。
ところが、データの内容があたかも実体のごとく私達を悩まします。預金残高の減少に不安を感じ、誕生日ごとに死の恐怖にさらされるのです。老化してゆく物質としての肉体の観点から過去の遺物とも言えるデータに捉われて悩んでしまいます。
まとめ
しかし、私達は、変わりゆく肉体とともに、常に新鮮に働いている心(精神)を持っています。心(精神)の働きは、変わりゆく物質である肉体の従属物ではないはずです。本当の自分が心(精神)であることに得心がいった時、物質としての肉体の終焉を超えることができるのかもしれない、と感じました。
(初出:株式会社ぎょうせい「税」6月号)






