いつから自分のことを「私」として意識するようになったのかは定かではありません。親から名前を呼ばれ、幼稚園で自分より速く走れる人がいることを知り、小学校に入ってからはテストの成績で比べられる・・・他者との関わりの中で、比較相対的に何となく「自分」のイメージを心の中で作り上げてきたように感じます。
その後、他者との関係性の中で作られた「自分」にとって、人生は思い通りにならないことに気付かされるようになりました。その「自分」という意識すら、「どう評価されているのか?」という他者の物差しに左右されて形成されていたように思います。
思い通りにならない日々には、不安や怒りが満ちてきます。感情を殺すことは難しいことですが、それが正解だとも思えません。
感情を殺さず、観察する。「心の手綱」を自分自身で握る方法

ただ、他者が原因で起こる感情に揺さぶられることは苦しいことです。そこで、感情と自分を切り離して感情の発生プロセスを観察することに努めました。感情の発生プロセスを整理するという作業の中で、感情の扱い方をトレーニングすることができるように感じました。
他者の物差しも無視するのではなくて、自分の行動を決定するに際して参考資料にすればよいのです。
不安や恐怖、怒りといった様々な感情を殺す必要はありませんが、野放しにすることは危険です。要は、自分で「心の手綱を握る」ことが必要なようです。
感情を受け止めることは、現実を受け入れることに繋がります。現実の受け入れは、心の平安にとって不可欠だと思います。その延長線上で、いずれ死すべきものとしての自分を受け止めることに繋がるように感じます。
まとめ
他者の物差しも無視するのではなくて、自分の行動を決定するに際して参考資料にすればよいのです。
不安や恐怖、怒りといった様々な感情を殺す必要はありませんが、野放しにすることは危険です。要は、自分で「心の手綱を握る」ことが必要なようです。
感情を受け止めることは、現実を受け入れることに繋がります。現実の受け入れは、心の平安にとって不可欠だと思います。その延長線上で、いずれ死すべきものとしての自分を受け止めることに繋がるように感じます。
他者を変えることは難しいし、他者を変えるだけの時間は残されていません。「今から」自分が変わる方が簡単なはずです。感情の扱い方を修練し、不安と後悔から解き放たれて常にアップデートすることを心掛けること。それが「心の手綱を握る」ことなのかもしれません。
(初出:(株)ぎょうせい月刊「税」2026年8月号)






