ゆく河のながれは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつむすびて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖と、
またかくのごとし。

方丈記の出だしです。同じ川がいつもそこにあるようですが、そこの水は絶えず入れ替わっています。同じ街のように見えても、住む人も、建っている家さえも、よく観ると、次々に代わっています。私達の身体でさえ、日々、細胞が入れ替わっています。故に、私達は日々、身体の新たな材料となる物を食べているのです。
この世の全てと私達自身が変化し続ける現象なのです。
縄文時代までは、私達もそのような感覚があったかもしれません。野や山に食べ物を探し求める日々は、明日の食事が約束された暮らしではありません。天を仰ぎながら、自然の流れに従って生きていたのではないでしょうか。
農業を覚え、定住するようになり、権力や富が発生すると、安定の為に秩序が構築され、眼に見えない秩序が可視化されていきます。巨大な城郭や文字で表された伝承などが秩序を正当化し、武力が裏打ちするようになります。
私達ひとり一人にも、集団生活の必要から、名前が付され記録されるようになります。その名前の人間として、変わらぬ存在であるとみなされ、自分もそう思い込むようになります。
名前が無い頃、私達は共に生き抜くため、私心無く協力していたのかもしれません。他の動物に比べ、身体能力が格段に落ちる私達が生き延びてきた理由だと思われます。ただ、食べ物の保存方法も無い頃、神や自然を畏れながら、必要以上に殺生したり、採取することはなかったのではないでしょうか。
不安定な日々であったかもしれませんが、不安定なのは物質としての身体であって、宇宙と通じる魂は永遠だと感じていたのかもしれません。
秩序が構築され、社会生活を送るようになった私達は、他とは異なる不変的な自分が存在すると思うようになっていきました。都市が発生し、人間社会の中で日々を送る私達にとって、独立した存在としての「自分」の存在が顕かになるにつれ、自分を守るためにも自己愛が発生してきたのかもしれません。
変化を恐れる自己愛は、次々に社会を発達させていきました。財産も保全され、食料でさえ、長期保存が可能となり、豊かな暮らしも可能となってきました。
ただ、日々、刻一刻と移り変わる物質としての身体の本質は変わりません。老いを恐れ、病を恐れ、貧窮を恐れる日々からの脱却は困難です。武力に裏打ちされた秩序は絶えず修正を余儀なくされるので、争いは絶えません。
鴨長明の「方丈記」は八百年前の作品ですが、現代の私達の悩みに寄り添い、人間の原点を示してくれる作品です。
下鴨神社の最高責任者の父のもとに生まれた長明は、この社会で成功するため、学問をし、礼節を修めていきます。ところが、父親の突然の死をきっかけに暗転します。そこで、音楽や和歌の才能に恵まれた長明はその道の修行に邁進し充実を求めました。ところが運命の悪戯か、時の最高権力者後鳥羽上皇の目に留まり、下鴨神社の要職に抜擢する内示を受けます。涙ながらに感激したと伝えられる長明でしたが、一族の猛反発に会い、内示は流れてしまいます。
失意の末、出家した長明がやがて辿り着いたのが「方丈の庵」だったのです。
方丈は五条半ほどの広さですが、長明が快適な日々を過ごすには十分でした。簡素な屋根は風雨を凌げます。庵の中には寝床の他に、生活スペースがあり、和歌、音楽に仏教の書き物とともに、琴や琵琶も置かれていました。人と会わないので着飾る必要はなく、服は寒さを防げば十分です。水と食べ物は近くの林で手に入りました。家事は全て自分で行うのですが、「つねに歩き、つねにはたらくは養生なるべし」と健康の秘訣でありました。
方丈の庵はかつて長明が育った屋敷に比べると約千分の一程度の広さでしたが、他人の眼から解放された長明にとって、そこでの暮らしは格別だったようです。
世俗の無駄を省いた究極の質素とも思える方丈の庵の暮らしに執着している自分を発見し、長明は執着を戒める仏法の教えに還るのです。
全ての物事が変化して止まないこの世において、何事にも心を留めることなく、変化になりきった長明にとって、もはや肉体の死をも超えた安心に生きたのではないでしょうか。
(初出:(株)ぎょうせい月刊「税」2026年8月号)


